プロフィール

2024年1月27日

植村一樹税理士事務所の個人ブログ「Wood note」へお越しくださり、ありがとうございます。

このページでは仕事面以外での私について、ゆるくつらつらと紹介しています。

好きなものを好きなように書き連ねておりますので、何かしらの興味関心事で引っかかる方とご縁がありましたら、話がとても弾むと思われます。

スポンサーリンク

自己紹介

植村 一樹(うえむら かずき)

山口県下関市にて税理士として開業しています。

神奈川県から山口県へのUターンです。

出身

1983年 山口県下関市生まれ

三方を海に囲まれ、緑も豊か。とても素敵な場所です。

地元を出て外から見ることで、気づくことができました。

血液型

A型

典型的なA型らしく、他の人からも「A型ですよね?」と決め打ちされるレベル。

本人は割と大雑把な性格だと思っています。

体型

173cm 60kg

猫背。姿勢が悪いので太ると腹が前に出る。ベルトに乗る。悲しい。

会社員時代(税理士試験挑戦中)は運動不足から63〜65kgを行ったり来たりでしたが、

独立以降はrunのためベスト体重58〜60kgを維持中。

性格

才能型  ・・・・○ 努力型
バリバリ ・・・○・ おっとり
合理的  ・・○・・ 感情的
社交的  ・・・○・ 内向的
冷静   ・○・・・ 熱烈
几帳面  ・○・・・ 大雑把

家族

既婚です。子供はいません。仲良し。

兄弟は姉(2歳上)。よく「弟か妹がいそう」と言われていましたが、何故でしょうか。

略歴

1983-1989年 (0〜6歳) 

■山口県下関市にて生まれる

箱根駅伝を見て外を走り出し、F1を見て三輪車で走り回る、落ち着きのない幼児でした。

■野球・F1へ興味を持つ

阪神タイガースのカラーバットを父から買ってもらったことがきっかけで、若くして阪神ファンとなりました。

また、母がHONDAの営業所に勤めていたことから、日本でのTV中継が開始された頃からF1を見始めました。

1990-1995年 (7〜12歳)

■公文式に入り計算の楽しさに目覚める

これまで数字に対して苦手意識を持つことなく、現在も数字を使う仕事に就いていることから、公文式が税理士の仕事へつながる第一のきっかけだったのかもしれません。

■ミニバスケットボール・ソフトボールのチームに入る

肩は弱く運動神経も人並みでしたが、球技は好き。

左利きを右へ矯正した過去から、バスケ左右利き、野球両投両打という奇妙奇天烈なことをしたりも。

■野球・F1観戦に浸かる

毎日テレビorラジオで野球漬け、月曜朝は録画したF1を見てから登校。

ただ、阪神ファンというだけで、野球に詳しくない女子に「お父さんが野球見てるけど、阪神っていつも負けてるよね」とバカにされるという、魔の阪神暗黒時代を過ごしました。当時は1勝の価値がとても重かったです。

F1はまさにセナ・プロスト時代でしたが、はちゃめちゃな振る舞いをするマンセルに惹かれ、引退まで応援していました。

1996-1998年 (13〜15歳)

■バスケットボール部に入部

バスケ部は不良の巣窟と言われていたので卓球部に入ろうしましたが、何故か女子卓球部しかなく、恐る恐るバスケ部へ入部することに。(先輩たちは皆様とても優しかったです。噂は一体何だったのやら?)

なお当時太っていたため、バスケ部にも関わらず垂直跳び27cmという記録を叩き出し、痩せることを決意。

炭酸とスナック菓子を絶ち部活に打ち込んだことで、3年間で身長は16cm伸びましたが体重増加は+2kgのみでした。

結果、中学3年時には60cm近くまで飛べるように。運動を楽しむためには身体の準備が必要だと学んだ3年間でした。

■箱根駅伝を撮り貯める

中3の冬休みは塾の冬期講習のため、箱根駅伝をリアルタイムで視聴することができませんでした。

そのため、往路復路をともに録画し、冬期講習から帰ると翌日準備をしながら深夜まで視聴。

この年から10年以上、箱根駅伝を撮り貯めていました。(ビデオの時代が終焉を迎えたところで全て廃棄しました)

1999-2001年 (16歳〜18歳)

■私立早鞆高校へ進学。陸上部へ所属

所属学科のカリキュラムが学内の他学科と異なっており、原則部活動への所属はNGな学科でした。

しかし、特例で陸上部に所属していた先輩の仲介もあり、同級生4名で陸上部へ入部。

学生駅伝好きなだけで陸上経験は皆無でしたが、長距離ブロックに所属して駅伝を走ったりと、とても楽しかったです。

県大会で後に箱根駅伝を走られた方や、マラソンで国際大会連続入賞された方の走りを間近で見ることができたことは貴重な経験でした。(同一レースで競ったわけではありません。運営サポートに駆り出されて競技トラックのすぐ側で見ただけ。それでも貴重な思い出です笑)

ただ、たびたび膝を痛めたり、学業を疎かにしてしまったことから、「学業に専念する」という理由で1年後に自主退部してしまいました。

当時「いつでも戻ってこい」と籍を残しておいて下さった顧問の先生には本当に申し訳なかったです。

走り続けていたら今の自分はきっと違うのかな、と、人生での大きなターニングポイントだったと思います。

2002年 (19歳)

■大学受験に失敗

大学受験に失敗し、浪人生活へ。

高校の担任や家族から予備校に通うよう何度も説得されましたが、不合格の原因は自分自身にあるためこれを拒否。

学習パートナーを通信教育のZ会に決め、通信教育費用と再度の大学受験費用を貯めるためにアルバイトをしながらの自宅浪人生活でした。

高校時代には曖昧だった「大学に行く目的」「行きたい大学」を深いレベルで突き詰め、あとはその合格ラインを目指して学習あるのみ。

自宅浪人であり模試以外には外部と比較して自分の位置を確認する方法がないことから、ゴールを定めて逆算でやるべき事を消化することに専念していました。

毎日昼食時に録画していた過去の箱根駅伝を見る。紫紺対決時代の複数年分を何周も見る。

浪人ついでに自動車免許も取る。

こうして振り返ると充実した1年だったような気がします。

2003年 (20歳)

■東京都立大学人文学部に入学

5年制の夜間部に在籍。夜間部は入学の翌年に廃止されたため、大学最後の夜間部生でした。

バイト、サークル、ゲームに明け暮れスレスレの成績でしたが、単位を落とすことはなく無事(?)1年目を終了。

■車旅に目覚める

夏休みと春休みは必ず、レンタカーを借りてひたすら車を走らせる旅行に行くように。

当初は車中泊、カラオケ泊など無茶なスケジュールを平気で組んでいました。

しかし、疲労や寝不足による運転中の危機に何度か直面したことで、「無茶な旅路は永遠の旅となるので止める」と心に誓い今に至ります。

2004年 (21歳)

■簿記と出会う

文学部は就職が難しいと知り、潰しの効く資格を探し始めました。

資格学校TACのパンフレットを眺めて気になったのは、趣味の旅行業務取扱管理者と、計算を使う簿記。

悩んだ結果、受講料が安かったという理由で簿記の学習を開始しました。

ただ、この頃は税理士を目指していた訳ではなく、あくまで将来の就職に対しての保険という意味合いが強かったです。

本屋でアルバイトを始めたこともあり、「将来は書店員!」というのが第一希望。

■走ることが趣味となる

体育の必修授業でマラソンという科目があったので友人と履修しました。

単位取得の条件はまさかの「ハーフマラソンの大会にエントリーして完走する」こと。

練習→大会申込→本番と、運動だけでなく手続面でも市民ランナーの一連の流れを学ぶ(?)ことができました。

これがきっかけとなり再び定期的に走るようになり、今につながる趣味となっています。

2005年 (22歳) 

■日商簿記2級まで合格

TACのDVD通信講座を受講し、順調に2級まで合格。

ただし、この時点でも第一希望は書店員のままでした。

この年はここまで疎かにしていた専攻先の単位を、心を入れ替えて取得に励んだ年でした。

大学講義→書店員バイト→run→資格学習、と充実した日々。

2006年 (23歳)

■日商簿記1級につまずく

引き続きTACのWeb通信講座を利用し1級に挑戦しました。

しかし1級のハードルは高く、不合格。

2級の3倍を超えるテキスト・問題集、隔日での3時間授業、とその学習量の多さに対応しきれなかったのが敗因でした。

どなたかが「3級は高尾山、2級は富士山、だが1級はエベレストくらい違う」と言っていたのは、今なお言い得て妙だと思っています。

簿記学習については、就職活動や卒論に向けての専攻先での研究に比重を置き、ここで一旦ストップしました。

まだまだ将来は書店員だと信じて疑わない日々。

■run継続の成果と結末

継続して走っていたこともあり、ハーフ、30kmと会心の走りで自己ベストを出した年でした。

この勢いで初のフルマラソン挑戦を夢見ていましたが……肺炎を発症し強制的にシーズン終了。

この年にフルを走っていたらどのようなレースができていたのか、今でも悔しい終わり方でした。

2007年 (24歳)

■就職活動

勤めていたバイト先書店の書類選考を無事通過しましたが、面接日程と教育実習日が重なる悲劇発生。

学校側から、「今後の教育実習生に影響が出てしまう(受入を断られてしまう)ので、絶対に実習日の変更をしてはならない」と告げられ、面接を辞退することに。

バイト先以外の他の書店も面接日程が近いため辞退し、泣く泣く書店員となることを保留しました。

首都大学東京大学院人文科学研究科へ進学

新卒マークをキープするために、何を血迷ったか大学院進学を目指し始める。

実力不足のため1度目は不合格。2度目のチャンスをもらい、躍起になって勉強。

その甲斐あってなんとか合格することができました。

この時点でも、まだ簿記で食べていこうとは頭にもよぎらず。

2008-2009年 (25〜26歳)

■書店員への道を断念

リーマンショック到来による不景気到来。

バイト先書店の募集が派遣枠すら無くなり、この段階で正式に書店員の道を諦めました。

また、大学院生活をバイトの掛け持ちでこなすも、原因不明の発熱に苦しめられ途中から休学。バイトも継続が困難に。

その後、手持ち資金が残りわずかとなったことで大学を退学し、体調快復に専念。

快復後は急遽就職活動を開始しました。

■税務の道へ

26歳社会人経験無しにもかかわらず、相模原市中央区の税理士事務所に採用してもらえることに。

ここでまさかの、人生の潰しとして取得した簿記資格に人生を救われることに。

以降、税務会計畑の人生へと進むことになりました。

■税理士試験 身の程を知った1年目

「大学卒+法律学1単位取得」の要件を満たしていたことで、税理士試験へ初挑戦。

簿記学習でお世話になったTACにて、教室通学で簿記論・財務諸表論を受講しました。

日商簿記1級のカリキュラムすら満足にこなすことができなかったにも関わらず、税理士試験を「上手くやれば受かるでしょ」くらいの気持ちで舐めてかかった結果、学習開始2ヶ月を経過する頃には地獄を見ることに。

  • 2科目学習のペースが掴めない。
    1科目週2コマ×2科目がこなせない。土日ロングに切り替えたりともがくものの、全くカリキュラムについて行けない。
  • 定期テストは常に下位70%以下。
    平均点との間の点差が絶対的に埋まらず、絶望的に高い壁にしか見えなくなる。
  • 財務諸表論の理論が何を言っているのか分からない。
    分からないからとりあえず覚えようとだけするが、分からないものは頭に入らない。頭に入らないからテストでは答えられない負のループ。

財務諸表論を切り、簿記論にて奇跡を願うものの、そのようなものは存在せず轟沈。

この時偶然Web上で見た画像、ドラえもんがのび太に対して発した1コマ、

「きみは本当にバカだな。」

に心を抉られ涙し、自分の立ち位置を、

”根拠のない自信持ち” → ”何も知らないバカ”

と自身の意識の中で定義し直し、ひたすらに言い聞かせました。

その結果、バカがこの試験を突破するには、

  • 科目を欲張らない。1つを精一杯やってようやく試合ができるかどうか。
  • 人と同じだけでは負ける。負けてもよいから、次の機会では必ず上積みを作ってゆくこと。

と決意し、税理士試験との戦いが先の見えない長期の戦いになることを覚悟しました。

1年目:簿記論×(B) 財務諸表論×(C)(記念受験)

2010年 (27歳)

■初めての税理士事務所

引き続き神奈川県相模原市中央区の税理士事務所に勤務。

これまで税理士というものに接点が無く、税理士がどのような仕事をしているのかも知らない完全素人からのスタートでした。

税理士事務所業務の基本を学ぶとともに、売上高2億円未満の小規模な会社様の月次決算、申告書作成業務等を行う。

■税理士試験 可能性が見えた2年目 

前回の大反省から受験科目を財務諸表論1科目に絞り、再挑戦。

教材は引き続きTACでしたが、通学時間が惜しくなりWeb通信へと変更しました。

そして、財務諸表論を選んだのは、

  • 前回途中で切ってしまったことから、全力で取り組んだ際に前年比で伸び代が大きい
  • 財務諸表論に計算問題があり、その学習で簿記の力はある程度キープできる

と考えたため。

昼休みの半分は学習時間とし、授業は絶対に貯めない、カリキュラムには喰らいつく、と決めて取り組み、合格ラインの若干下くらいの位置を維持しつつ本番を迎えることができました。

しかし結果は僅かに及ばず不合格。

理論問題に対する理解が浅かった点を最後まで詰めきれなかったことが敗因でした。

ただ、ここで「あとは理論さえできれば合格できる。」というゴールへの道筋が見えたことで、やってきたことが間違ってはいなかったと手応えを感じられた1年でした。

2年目:財務諸表論×(A) 簿記論×(A)(記念受験)

2011年 (28歳)

■税理士試験 2ヵ年計画発動の3年目

この年も受験科目は財務諸表論に絞りました。ただし、目標は絶対合格。

計算問題は自分なりの解き方まで完成していたため、理論の学習に比重を大きく偏らせる作戦です。

資格学校についても検討し、理論教材について自分が理解し易いと感じた大原へ移ることにしました。(外に向けては「本気になったから大原に変えてみました」と説明していました。本気ではあるので嘘は言っていませんよ。)

また、翌年に簿記論で合格するためのプランを考え、

8月:財務諸表論 → 11月:日商簿記1級 → 翌8月:簿記論

という形にしました。

財務諸表論の学習量は計算部分で抑えられることから、5月以降簿記1級の学習を並行させ(7月〜財表本試験までは一旦お休み)、他の簿記論受験者より簿記に長く多く触れた状態で翌年8月を迎えるプランです。

5月以降土曜日は午前中に大原自習室で財表自習、午後はTACで日商簿記授業&自習という資格学校のスクランブル利用をしつつ、それぞれ試験を迎えました。

結果は財務諸表論・日商簿記1級ともに合格。

始めて税理士試験の科目合格を果たしたことで、残り4科目についてもやってゆけそうだと2年越しで少々自信を取り戻すことができました。

3年目:財務諸表論◯ 簿記論×(A)(記念受験)

2012年 (29歳)

■事業会社へ転職

東京都港区の上場企業子会社へ転職。

法人経理側の立場を知りたいと思っての転職でした。

管理部として経理のみならず総務業務を合わせて経験。

中小零細企業では経理が総務を兼ねることが多く、その立場を経験できたことは貴重でした。

■税理士試験 2ヵ年計画結実の4年目

前年から簿記の学習を継続していたことから、順調に合格圏内を推移しながらの学習でした。

ただ、転職やプライベートでごたごたがあったことで、本試験直前時点は完全にピークを外してしまうことに。

不安だらけのまま本試験を迎えましたが、ここまでに時間をかけて培った地力に助けられ、多くのミスをしながらも何とか押し切って合格をもぎ取る形となりました。

2ヵ年計画があったからこその簿記論合格だったと思います。

4年目:簿記論◯

2013年 (30歳)

■税理士業界へ戻る

前年からのプライベートでのごたごたから前職を退職。

東京都八王子市の税理士事務所に転職しました。

個人事業の方から売上高20億円程の法人まで、様々なお客様を担当。

パートの方々と連携して複数のタスクを並行して進めてゆくポジションでの仕事の仕方を身につけました。

また、2科目合格できたことから、今後は税理士業界以外への移動はしないと決め、税理士となることをブレずに目指すことを決意したり。

■税理士試験 今までの環境が恵まれていたと知る5年目

転職先は従業員の出入りがとても多く、残業が非常に多い職場でした。

次第に始発で出社し、深夜に帰宅する生活へ。

学校へ授業を申し込んではいましたが、1ヶ月経たずに授業から遅れ、ドロップアウト。

前職までが恵まれた学習環境であったことを実感した1年でした。

5年目:消費税法×(C)

■妻と出会う

上記のような乱れた生活の中で、今の妻と出会いました。

妻は私の劣悪な食生活に危機感を覚えたようで、見事に胃袋からガッチリと掴まれました。

当時倒れなかったのは妻のおかげ以外の何物でもありません。

2014年 (31歳)

■将来に向けて転職

これまでの生活を長くは続けられないと移動を決意。

神奈川県横浜市戸塚区の税理士事務所に転職しました。

初めて同世代の税理士登録者と出会い、税理士資格を取ることで見る世界が変わることを学ぶ。

一方で、税理士資格があるだけでは駄目だということも学ぶ。

資格取得は大切ですが、仕事という観点ではそれ以外も必要、と視野を広げてくれた職場でした。

■妻と結婚

生活が多少落ち着いたことでようやく将来を見据えることができ、結果として無事妻と結婚しました。

前職のままでは、時間は取れない、税理士を目指すと言うものの勉強なんてできてない。

先を描くことができない状況下では、何を言おうとも説得力は皆無でしたから。

愛想を尽かされても何も言えない生活でしたからね……これが転職の1番の目的でした。

■税理士試験 短い期間でも諦めない6年目

転職後は前職に比べ多少残業時間が減ったことで、学習時間と意欲を取り戻すことができました。

ただ、本試験までの期間が無い。

そこで科目は学習量の少ない固定資産税を選択しました。

4月からの受講でしたが、電車内で鞄を机に計算問題を解き、徒歩の時間や昼休みは理論暗記をして粘る。

結果、理論はヤマ張りでしたが、計算は何とか本試験に間に合わせることができました。

ただ、ミニ税法の本試験はそう甘いものではなく。

計算は基礎項目ばかりが出題され満点を取ることが求められたものの何とか対応できましたが、勝負の別れ目となった理論で1題ヤマを外して終了。

これまで見たこともない合格ラインの得点を知り、今後は絶対に安易にミニ税法へ流れないと誓ったのでした。

6年目:固定資産税×(B)

2015-2019年 (32~36歳)

※以下、書きかけ。

神奈川県相模原市中央区の税理士法人に勤務。

在籍中に税理士試験の消費税、相続税に合格。

法人株価算定や税務調査対応、管理職としてのチームマネジメントを経験、実践する。

顔面神経麻痺その他の体調不良を発症。家族に大変な心配をかけたため、健康第一とすることを誓う。

2020年 (37歳)

退職をし、夏まで税理士試験に専念の末、法人税合格。税理士試験を終える。

試験を終えてのご褒美として、ポケふたを求めて鳥取県全市町村1周を決行するも、台風と重なる。

東京都港区の税理士法人に勤務。

税理士のパフォーマンスとして目指すべき人に出会う。

諸事情が重なり税理士登録をするか悩む。

2021年 (38歳)

■税理士登録、そして開業

腹を括り、覚悟を決め、税理士登録をすることに。

そして、生活する上で様々なサービスを受けている居住地に貢献(還元)したいとの想いから、神奈川県愛甲郡愛川町にて独立しました。

自然が多く、ランニングのコースもタフで走り甲斐あり。素敵な場所でした。

2022年〜 (39歳〜)

■故郷の山口県下関市へUターン

この資格に挑戦していた頃から決めていた「自分でできる仕事を手にしたら、最終的には地元へ戻る」気持ち。

声にしてみたところ貴重なご縁をいただけたため、今こそが機だと受け止め、Uターンを決意しました。

下関市にて今日もやんわりと営業中です。

趣味

国内旅行

観光地かどうかに関わらず、知らない街を車で旅することが好きです。

地図を見て、気になりそうな場所に立ち寄って。そんな旅スタイルです。

過去の旅行先リストはこちら

スポーツ観戦

1.モータースポーツ

 一時期最大で9つ(F1、フォーミュラE、インディカー、NASCAR、WEC、SUPER GT、WRC、MotoGP、スーパーバイク)をフォローしていましたが、現在は2つ(F1、MotoGP)フォロー中。
その他は情報のみ拾っています。

・F1

F1が歴が最も長く、国内で民放放送が開始された頃から観ています。

マンセル→アレジ→トゥルーリ→フィジケラ→マッサ→ロズベルグときて、
現在はレッドブルファミリー推し。

Williamsが赤色に変わったことにガッカリして、一度F1から離れたことは黒歴史です。

・MotoGP

MotoGPはロッシのヤマハ2度目以降です。(年代をロッシで表せるところにロッシの偉大さが)

MotoGPの中上貴晶、Moto2の小椋藍、Moto3の佐々木歩夢、各選手を応援しています。

2.陸上長距離

駅伝、マラソンは子供の頃から。最近はトラックをCSで放送していたりするためトラックも見ます。

特に好きなのは大学長距離。30年ほど皆勤視聴中。

5歳の時に見た箱根駅伝、順天堂大学の9区山田選手が日本体育大学を抜いて大差をつけたシーンから、ずっと順天堂大学を応援しています。

それでも自分の青春は大村一選手(法政大学)なんだ。

3.野球

プロ野球、高校野球どちらも好きです。

・プロ野球

子供の頃は阪神ファンでした。

時を経て現在はプロ野球そのもののファン。どのチームの試合も好き。中立的に試合を見ています。

試合観戦中にしゃべり続けるので、その間は妻から話半分しか相手にされません。

そして自分が話したことをTV解説が同じようにしゃべるのを何度も目撃され、笑われる。

燃えプロもファミスタもパワプロも全部青春です。

門田とブーマーのバントはトラウマ、ナムコスターズの応援歌はスカイキッド、今中のカーブは今なお最高。

・高校野球

子供の頃の春夏休みは、新聞に載る地区予選の結果をひたすらに眺め、高校野球ニュースを見、日中はNHKばかり見ていました。

大人になり、沢山のカードを見ることはできていませんが、注目の試合は見ています。

神奈川県は県予選から本大会並みの人気があり驚きました。

ランニング

陸上長距離好きをこじらせて、自分でも走るようになりました。

大学時代より、ほぼ毎年大会に参加しています。

レース展開や戦略の知識は大人、身体能力は子供。いつかこの無駄知識を活かしたレースをしたいと画策中。

以下、過去の大会の結果です。

  • 2005年
    1月  谷川真理ハーフマラソン(ハーフ) 1:47:49
    2月  青梅マラソン(30km) 2:47:43
  • 2006年
    1月  谷川真理ハーフマラソン(ハーフ) 1:43:39
    2月  青梅マラソン(30km) 2:20:47
    3月  京王グループ駅伝(駅伝) 1区4.6km 17:22
    4月  東日本国際親善マラソン(ハーフ) 1:32:02
    11月 京王グループ駅伝(駅伝) 1区4.6km 18:06
  • 2007年
    10月 京王ロードレース大会(4km) 16:26
    11月 京王グループ駅伝(駅伝) 1区4.6km 18:26
  • 2008年
    3月  下関内日健康マラソン(ハーフ) 1:46:59
  • 2010年
    3月  湯河原温泉オレンジマラソン(10km) 49:44
    11月 下関海響マラソン(フル) 5:06:52
    12月 富士マラソンフェスタ(ハーフ) 2:00:44
  • 2011年
    10月 富士・鳴沢紅葉ロードレース(ハーフ) 2:08:32
  • 2012年
    2月  東京マラソン(フル) 4:48:46
  • 2013年
    10月 八ヶ岳ロードレース(ハーフ) 2:00:25
  • 2015年
    12月 はだの丹沢水無川マラソン(ハーフ) 2:02:09
  • 2016年
    10月 東日本国際駅伝(駅伝) チーム305/344位
    10月 甲州フルーツマラソン(ハーフ) 2:08:02
    11月 下関海響マラソン(フル) 4:59:28
  • 2017年
    10月 富士・鳴沢紅葉ロードレース(ハーフ) 2:14:38
    11月 下関海響マラソン(フル) 5:18:55
    12月 イヤーエンドマラソンin昭和記念公園(ハーフ) DNF
  • 2018年
    2月  東京マラソン(フル) 5:00:05
    11月 下関海響マラソン(フル) DNF
  • 2019年
    3月  あいちゃんアドベンチャー(アドベンチャーレース) 大人2人の部3位
    4月  箱根ランフェスロゲイニング(ロゲイニング) 4時間の部4/17位
    5月  横浜観光ロゲイニング(ロゲイニング) 団体クラス14/58位
    5月  横浜ノースドックランニングフェスティバル(リレーマラソン・フル) チーム11/35位
  • 2020年
    3月  佐倉朝日健康マラソン(フル) 中止
  • 2021年
    10月 秩父フォトロゲイニング(ロゲイニング) 3時間一般の部6/8位
    12月 ナビたびロゲin高尾の森2021(ロゲイニング) 3時間一般の部7/11位
  • 2022年
    11月 下関海響マラソン(フル) 4:38:44
  • 2023年
    1月  城下町長府マラソン(ハーフ) 1:57:16
    4月  シティロゲin下関(ロゲイニング) 3時間一般の部5/56位
    11月 下関海響マラソン(フル) 4:48:42
    12月 維新の里萩城下町マラソン(ハーフ) 1:50:51
  • 2024年
    1月  城下町長府マラソン(ハーフ) 1:50:57

その他、横浜月例マラソンへ不定期参加していました。

ゲーム

家庭用もゲーセンも好き。スマホゲーは特定のアプリのみ。

最新のゲームというより、レトロゲーやちょっと時期が過ぎたけれども面白そうなものに手を出しています。

○現在プレイ中

  • 地球防衛軍5
  • ポケモンGO(ゆるくPvP勢)

○過去のお気に入り作品

  • くにおくんシリーズ(FC)
  • 天地を喰らう1,2(FC)
  • 水滸伝(FC)
  • ロマンシングサガ1,2,3(SFC)
  • ファイナルファンタジー5,6(SFC)
  • ドラゴンクエスト5(SFC)
  • 天地創造(SFC)
  • FZERO(SFC)
  • ゼルダの伝説(SFC)
  • 項劉紀(SFC)
  • ヒューマングランプリ(SFC)
  • ドカポン3・2・1(SFC)
  • 三国志2,4,5,8,9,10,11(SFC,PS,PS2)
  • 実況パワフルプロ野球シリーズ(SFC,PS,PS2)
  • SaGa3(GB)
  • ポケットモンスター(GB)
  • Wii sports resort(Wii)
  • 悠久幻想曲シリーズ(PS)
  • スペクトラルフォースシリーズ(PS)
  • 真・三國無双2,4,6(PS2,PS3)
  • Newみんなのゴルフ(PS4)
  • グランツーリスモsports(PS4)
  • 地球防衛軍4.1(PS4)
  • THE KING OF FIGHTERS97,98,99,2000,2001(アーケード)
  • ポップンミュージック(アーケード)

ひとまず記憶にあるものを羅列。思い出したら書き増やします。

三国志

KOEI作品から入り、どっぷり浸かっていました。

正史も演義もどちらもOK。マイナー武将大好きです。

ゲームプレイは、国プレイ→公孫瓚、武将プレイ→公孫越or廖化(黄巾)。

現在継続していること

○ランニング
 税理士試験を突破したら全国の大会を出て回りたい! と思っていたのに、コロナで難しい状況に。
 いつか来るその時のために、本気で走るための準備期間として走っています。

スポンサーリンク